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仙台地方裁判所 昭和46年(わ)226号 判決

主文

被告人らはいずれも無罪

理由

第一  本件公訴事実は「被告人阿部郁治は全国電気通信労働組合東北地方本部書記長、同石川稔、同五十嵐善三は、同地方本部執行委員であるが、同労働組合員約二〇〇名と共謀のうえ、昭和四五年一二月一日午後二時過ぎころ、仙台市清水小路一〇番地所在の東北電々ビルにおいて、日本電信電話公社東北電気通信局長瀬谷信之管理にかかる右ビル建物の一部である一階出入口のガラス扉、窓ガラス、化粧タイル張りの壁及び地下食堂入口の扉、窓ガラスなどに『地方要求に対し誠意を示せ全電通』等と印刷記載した縦約三七センチメートル、横約一二・五センチメートル、若しくは縦約一三センチメートル、横約一九センチメートルのビラ合計約五、五〇〇枚を糊で貼り付け、もって建造物を損壊したものである」というにあるところ、まず本件に至る経緯及び被告人らの本件における各所為についてみるに、≪証拠省略≫を総合すると、

一  日本電信電話公社(以下電々公社または単に公社という)は、昭和二八年以来、電信電話事業の拡充のため第一次から第三次までの五ヶ年計画を遂行してきたが、昭和四三年度から開始された第四次五ヶ年計画の遂行途中であった昭和四五年、当時の旺盛な電話需要と折からのコンピューターの導入、普及による情報社会化傾向の急速な進展に即応すべく、電話の一、九七〇万台加入増設、データ通信システムの拡充、開発、電子交換機導入による総合通信網の形成、画像通信をはじめとするサービスの多様化等を主要目標とする電信電話拡充七ヶ年計画を立案し、同年八月二八日これを電々公社従業員をもって組織される全国電気通信労働組合(以下全電通労組という)に提示した。全電通労組は、右計画が大規模な合理化、省力化を伴うもので、労働者の職場を奪い、或いは労働強化、労働条件の悪化につながる恐れが強いとして、合理化反対を中心とする右計画反対の運動を組織し、同年一一月四日、公社本社に対し、合理化は労使の意見の一致を見なければ実施しないこと、労働条件を向上させること、懸案事項を解決することなどを骨子とする右計画に対する要求書を提出したが、同月一六日なされた公社側のこれに対する回答が全電通労組の満足するところでなかったため以後双方の主張をめぐって連日団体交渉がもたれ継続された(以下これを中央交渉という)。同月一九日、全電通労組中央執行委員会は、中央交渉での進展のみられない状況を打解するため地方本部書記長会議を開いて地方段階での闘争方針を協議し、同月二四日以降無期限時間外労働拒否に突入すること、同日から一二月一日までを中央交渉を支えるための全国統一行動期間とし、集団交渉、すわり込み、庁内デモ、待機行動、ビラ貼り等の底辺、大衆行動を展開することを決議し、同月二一日各地方組織に対し右趣旨の指令第一号を発した。

二  他方全電通労組の東北地方における統制を掌握する全電通労組東北地方本部(仙台市五橋一丁目五番一七号全電通労働会館内、以下単に東北地本という)は、昭和四五年一〇月末、人事異動、任用、合理化事前説明、頸肩腕症候群、業務災害の組合への連絡等の問題につき五項目の地方要求を確定し、同年一一月七日電々公社東北電気通信局(以下東北電通局という)長瀬谷信之に対し要求書を提出した。同月一六日、同局長は地方要求に対する回答を行なったが、組合側の納得するところでなかったため以後同月一七日、一八日、一九日と団体交渉が重ねられた(以下これを地方交渉という)。同月二〇日東北地本執行委員会は、地方交渉が膠着状態のまま進展しないため、状況を打解するべく、同月二六日と一二月一日とを中央本部からの前記指令ともからめた統一行動日と定めるとともに、当局側に対し、団体交渉の場とは別に各職場の実情を説明し、地方交渉における組合側の要求が正当である旨を訴えるための東北電通局当局側との集団交渉を持つべく、東北地本傘下の約一〇〇の分会全部の代表者による会議を招集することを決定し、同月二四日に開いた拡大支部書記長会議において右統一行動日における具体的行動の検討と確認をした際、右全分会代表者会議の期日を一二月一日とする旨決定した。地方交渉は一一月二一日、二五日、二六日、二八日と継続されていたが、業務災害の組合への連絡の問題を除き殆ど進展がなく、同月二六日には前記統一行動の一環として東北管内全体でのビラ貼り行動が行なわれ、同月二八日には東北地本から同本部傘下の全分会代表者に対する前記会議のための動員指令が発せられた。

三  昭和四五年一二月一日午後零時五〇分頃、東北地本執行委員である被告人石川、同五十嵐の両名は、折から全電通組合員の集団行動に備えて多数の管理職らが入庁者を規制する体制にあった仙台市清水小路一〇番地所在東北電々ビル(以下本件ビル又は本件建物という)の北側玄関よりビル内に入り、東北電通局職員部労務課長佐藤正一と会見し、電通局側において全分会代表者らとの集団交渉に応じるべきであるとの申入れを行なったが、同課長に拒否され、この経過を右両名から報告を受けた東北地本では、直ちに執行委員会を開いて、このうえは当局側に対する抗議行動として本件ビルに対するビラ貼りを行なうほかない旨決議したうえ、被告人らを含む東北地本役員、執行委員は、かねて準備してあった糊、ビラ、刷毛、ポリバケツ等を県労評の自動車に積んで、前記全分会代表者らの集合場所として指示してあった本件ビル南側広場に赴き、同日午後一時半頃、本件ビル南側広場において動員指令により参集した全分会の代表者及び東北地本役員、執行委員ら合計約二〇〇名が東北地本書記長である被告人阿部の司会により集会を始め、亀井進東北地本委員長の挨拶があった後、以後の行動の指揮者として被告人石川が指名され、同被告人の指揮で本件ビルを二周するなどのデモが行なわれたが、次いで同日午後二時ころ、同被告人がビラ貼り行動に入る旨を告げ、参集者を県支部別等により本件ビルの東西南北各担当の四班に分け、それぞれの指揮者を、東側は大川昭雄東北地本副委員長、西側は富樫俊美東北地本執行委員、南側は被告人阿部、北側は同五十嵐とする旨述べて、午後二時二分ころ、被告人石川が「それでは指揮者に従ってそれぞれの方向に行って欲しい」との指示を与えるや、参加者らは南側玄関入口前に用意された糊入りバケツ、ビラ、糊刷毛を持ち分担個所に分散して一斉に電々公社東北電通局長瀬谷信之管理にかかる本件ビル建物の一部である一階出入口のガラス扉、窓ガラス、化粧タイル貼りのコンクリート壁及び地階食堂入口のガラス扉などに「地方要求に対し誠意を示せ 全電通」等と印刷記載した縦約三七・三センチメートル、横約一二・五センチメートルのビラもしくは「不当処分撤回 夏期差別やめろ 全電通」と印刷記載した縦約一三センチメートル、横約一八・八センチメートルのビラ合計約五、五〇〇枚を糊でもって貼り付けたが、その際被告人石川は、「ビラ貼りは整然と別々にやって下さい」「ビラはちゃんと貼って下さい、取れないように」等と指示し、被告人阿部は、本件ビル南側において全電通青森県支部、同福島県支部関係の参加者に対しビラの貼り方を注意したうえ、同所におけるビラ貼りを指揮監督し、被告人五十嵐は、本件ビル北側に全電通宮城県支部、同秋田県支部関係者とともに赴き、同所におけるビラ貼りを指揮監督し、自らも北側玄関ガラス扉の合わせ目部分等にビラを貼り付けた、事実が認められる。そして以上の事実によれば、行為の構成要件的評価の点を除く本件公訴にかかる外形的事実はこれを認めるに充分であるところ、検察官は被告人らの本件所為により本件建物の効用と美観が著しく侵害されたことは明白で右は建造物損壊罪を構成すると主張する。

第二  よって、被告人らの本件所為が刑法二六〇条所定の建造物損壊罪(以下本罪という)に該当するか否かについて判断するに、同条にいう建造物の「損壊」とは、建造物の構成部分を有形的、物質的に変更或いは滅尽せしめる場合ばかりでなく、その他の方法によってその建造物の効用を滅却もしくは減損する場合をも包含し、建造物の美観ないし威容(以下単に美観という)も建造物の効用の一内容或いはこれに準ずるものとして、その減損が本罪を構成する場合もあるのであるが、当該事件において、美観の減損が本罪を構成するか否かは、美観自体が一般的には建造物の本来的効用とは直ちにいえないことに鑑み、当該建造物の用途、社会的価値、機能等に従い、美観がその建造物に占める意義ないし価値を検討し、また美観を侵害する程度に応じて、個々具体的且つ慎重に判断すべきものと解すべく、例えば文化財としての価値の高い神社仏閣等の建築物の如くその美観も建造物の社会的価値の主要な要素となる場合、その外観を変じて美観を損う行為は、その侵害が比較的軽微であっても本罪を構成するというべきであるが、通常の実用建造物の場合には、これにそれなりの美観の存在すること自体は否定し得ないものの、その主たる存在価値は、執務或いは住居等に供するにあることからして、その所有者或いは管理者の主観を離れ、客観的に考察して、その建造物が、社会通念上一般的に保有すべきものと解せられる一定の美観を著しく侵害、減損し、その程度が建造物の本来的機能、目的に沿う使用、利用が阻害せられたと同様に評価できる場合にのみはじめて本罪が成立するというべきである。しかし、これが実用的な建造物に対するビラ貼りであっても、ビラの貼付方法、態様等の如何により、単に美観を害するばかりでなく、採光や見透しまでが著しく害されるなど、直接にその建造物の本来的機能そのものが損われるに至る場合や、ビラを剥がし貼付箇所を洗浄して原状に復することが特に困難で糊の固化或いはビラ剥離の際の傷跡等により貼付場所が物理的に変更を加えられたものとして物質的毀損に準じて解釈し得る場合には、美観の問題を論ずるまでもなく本罪を構成することは明らかである。よって本件建造物の本来的効用とその機能及び本件ビラ貼りの態様とその結果を検討し、本件において右の如き効用の減損や物理的毀損があるか否か、また前示趣旨の美観の減損があるか否かを、以下順次判断する。

第三  ≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

一  本件建物の概要と使用状況

東北電々ビルは、昭和四五年一〇月二三日に完成した地上八階地下一階(延二万二、〇〇〇平方メートル)の鉄筋コンクリート製建築物で、電々公社東北電通局及びその下部機関である宮城電気通信部(本件ビル二階に収容されている)、仙台搬送通信部(同三階に収容されている)、仙台無線通信部(同二階に収容されている)がその業務を行なっているものであるが、その業務内容は、主として一般事務、電話交換業務、設計業務等であり、これらに附随するものとして守衛、用務、更に一階の電々ビル内郵便局、地階の食堂、理髪、売店等の業務が行なわれている。

そして本件ビラ貼りのなされた本件ビル一階の使用状況をビル外壁に沿って述べると、南側は西から東へ展示コーナー、玄関ホール、庁務事務室、自動機械室、交換休憩室。東側は南から北へ交換休憩室、東側玄関、文書処理室。北側は東から西へ文書処理室、東北電通局データ通信部室(同室南側奥に応接室が一画仕切られている)、同部長室、会議室(部長室、会議室の南奥に応接室が一画仕切られている)、北側玄関(南奥に資料保管室が一画仕切られている)、データ通信部室、郵便局休憩室。西側は北から南へ郵便局休憩室、郵便局、同公衆室、西側玄関、電報電話相談室、展示コーナーとなっており、右以外の一階中央部分の使用状況は、階段、エレベーター、湯沸室、金庫室、ファン室、便所等となっている。

二  本件建物一階外壁の状況

本件ビルの形状は概ね箱形であるが、その外壁は、一階のそれだけが内側に約四・五メートル引っ込んでいていわゆる廻廊状になっており、この空間に、階上部分では建物内に収容されている約一メートル角のコンクリート柱が外側線に沿って約六メートル間隔で並んでいる。そして右一階の外壁は、各玄関のアルミ製強化ガラス扉(嵌殺しガラスランマ、嵌殺しガラス両袖付)部分(以下単に玄関部分という)以外は、アルミ製引分式ガラス窓(両袖嵌殺しガラス窓、嵌殺しガラスランマ付、以下同じ)部分と化粧タイル貼りコンクリート外壁部分とからなっており、右三者の一階外壁に占める比率は概ね六対二八対一二である。右アルミ製引分式ガラス窓はアルミ製の枠に厚さ八ミリメートルの透明強化ガラスが嵌めこまれているもので、全体の大きさは幅三・二メートル、高さ二・八八メートルである。そしてその中央部分に可動のガラス戸が二枚、引分式に取り付けられているのであるが、その引分戸の大きさは、いずれも幅〇・四六五メートル、高さ二メートルである。右アルミ製引分式ガラス窓は、引分戸の部分も平常ビスで取り付けられているので、いずれも専門家でなければ動かしたり取外したりできぬ構造となっている。そして右アルミ製引分式ガラス窓の取付状況は、本件ビル南面において東西の角切り部分及び玄関部分を除く全面に亘り一〇個(玄関東側に七個、同西側に三個)。同東面において玄関部分の両側に各二個計四個。同北面において東西の角切り部分及び玄関部分を除く全面に亘り一〇個(玄関両側に各五個)。同西面において玄関部分両側に各二個計四個。以上合計二八個である。また、右ガラス窓部分には、前記南面に設置されているもののうち西側五個及び東面に設置されているもののうち玄関の両脇各一個の計七個を除く二一個に二連式アルミ製ブラインドが取り付けられている。右ブラインドは、よろい戸様のもので上部が右ガラス窓上部に固定されており、下部を外側に押し出し、約三〇度開いた状態で棒状の金具を用いて留められるようになっている。(そしてこの状態ならば、ガラス窓とブラインドとの間に人が立てる位の空間ができる。)

三  本件ビラ貼りの態様

本件で貼られたビラはいずれも白色上質紙で

1  半紙縦半切り大(縦約三七・三センチメートル、横約一二・五センチメートル)のものに青色で「地方要求に対し誠意を示せ 全電通」(但し「全電通」部分のみ青地白ぬき)と印刷したもの(以下Aと称す)

2  右同の大きさのものに赤色で右同文(但し「全電通」の部分のみ白ぬき)を印刷したもの(以下Bと称す)

3  右同の大きさのものに青色で「地方要求に対し誠意を示せ 全電通東北地方本部」(但し「全電通東北地方本部」部分のみ白ぬき)と印刷したもの(以下Cと称す)

4  横約一八・八センチメートル、縦約一三センチメートル大のものに「不当処分撤回 夏期差別やめろ 全電通」と赤及び黒で手書きしたものを更に印刷したもの(以下Dと称す)

の四種類である。これらが貼付された場所、枚数の詳細は別表のとおりで、総計五、五〇一枚であるが、そのうち、地下食堂のガラス扉部分の七三四枚、西側玄関ガラス扉内側部分の一七枚、同玄関内仕切りガラス部分の一七四枚の計九二五枚を除いた四、五七六枚は、全て前記一階の外壁に貼られており(但し、ビル内郵便局及び同公衆室のガラス窓には貼られていない)、そのうち前認定のアルミ製ブラインドが設置されている場所においては、本件全電通組合員らがブラインドの陰に入ってガラス窓に貼付したものである。これらは普通の糊を用いて比較的整然と貼られており、二枚以上が重ねて貼られている個所も所々に散見されるものの、ビラの半分以上が重ねられている程の個所は極く僅かである。

四  本件ビラ貼り後の清掃作業

本件時に貼付されたビラの剥離、清掃等の原状回復作業は東北電通局からこれを請負った日本オイラービルサービス株式会社が延べ人員四八名、経費八万七、八五〇円で五日間を要して全く傷跡を残すことなく仕上げた。右作業の大要は、初め熱湯で貼付個所を濡らしたうえ、ビラを荒どりし、次に洗剤を溶かした温湯で濡らしたうえ残りの紙片と糊とを取る中仕上げをし、最後に乾いたタオルで拭いて仕上げるという三段階であった。前記人員と経費には、本件ビルとは別棟である事務近代化準備庁舎、並びに建造物ではない本件ビル西側花壇のコンクリート壁、コンクリート地面等に貼られたビラについての作業の分も含まれているところ、ガラス部分での作業は表面が滑らかなために比較的容易であったが、右花壇や地面のコンクリートの部分の作業は表面が粗いために数等倍困難であった。

第四

一  ところで、すでに認定のとおり、本件ビルが、その中における一般事務等を使用目的とする実用建造物であることは明らかであるところ、≪証拠省略≫によれば、本件ビル一階の外壁に沿う部分は、階上部分の張り出しとコンクリート柱とに妨げられて本来採光と見通しの悪い構造となっているうえに、ガラス窓部分のうち南玄関ホール等を除く殆どの部分では、外部からの窺見を防ぐためアルミ製ブラインドが常時降ろされている関係上更に採光と見通しとが妨げられていること、したがって本件ビル一階においては、日常昼間でも螢光灯の人工照明下で執務がなされており、その照明は外部からの採光に頼る必要のない十分な明るさを備えていること、本件ビラ貼りによっても一階北側データ通信部室での執務には採光、見透しその他の点で何ら支障、影響がなかったことが認められ、以上の事実によれば、本件ビラ貼りの行なわれた本件ビル一階外壁のうち、アルミ製ブラインドの設置されたアルミ製引分式ガラス窓部分については、日常ブラインド自体にガラス製品を用いることによる効用を滅殺する機能を果させているのであって、本件ビラ貼りにより当該部分のガラス窓の効用が減損されたものとまでは認められない。

また≪証拠省略≫によれば、右ブラインドの設置されていない南側玄関ホールにおいては、本件ビラ貼りのため採光が多少妨げられやや薄暗い感じとなった事実は認められるが、同時に同所天井には照明灯もあるので、業務に特段の支障はなく、玄関ホールとしての機能が害された事実は認められないし、この他一階各玄関部分、西玄関内仕切りガラス部分、展示コーナー部分等でのガラスへのビラ貼りについても、それが当該部分にガラス製品を用いたことの効用を著しく損い、執務に支障をきたして建物本来の効用を害した事実を認めるに足りる証拠はない。

二  次に地階食堂のガラス扉について検討するに、≪証拠省略≫により、本件ビル北側の地階食堂のアルミ製二連式引違いガラス扉(引違いガラスランマ及び嵌殺しガラス両袖付)にもビラ貼りが行なわれたこと、そしてそのビラの枚数は七三四枚であったことが認められるところ、≪証拠省略≫には、右ガラス扉は専門的な技術と特殊な道具をもってしなければ取外しができない旨の記載があるが、右はランマ、嵌殺し両袖をも含めた一組のものとしては取外しができないものである旨の記載と認められ、却って≪証拠省略≫によれば、右引違いガラス扉自体は通常の取外し可能な建具であることが推認され、他に右引違いガラス扉が毀損しなければ取外しできないものであることを証するに足る証拠はない。従って前記七三四枚のうちの大部分が右取外し可能と推認される部分に貼付された地下食堂でのビラ貼り行為は、この点で直接的には建造物損壊罪に該らぬものといわなければならないし、同部分は地下食堂のドライエリアに面するものであって、これに対するビラ貼りによりガラス窓の見透しが多少害されたとはいえ、その内部の採光は人工の照明により十分と解され、建物の本来的効用までが減損されたものとは認められない。

以上のとおり、本件ビラ貼りにより本件建物の本来的効用が滅失或いは減損された事実は認められないし、また本件建物に物質的な毀損若しくはこれに準ずべき損壊の何ら生じなかったことは、先に本件ビラ貼りの態様及び本件ビラ貼り後の清掃作業の項において認定した事実に徴し明らかである。

三  次に、本件ビラ貼りが本件建物の美観にいかなる影響を与えたかについて判断するに、本件建物は、電信業務に関する一般事務等に使用する実用的建造物であるが、新築後間もない近代的ビルとして、それ相応の美観を有することは否定できないところである。しかし本件ビラの貼付個所は前認定のとおり主として本件ビル一階の外壁で、同外壁の総延長の約四六分の二一に当る部分には前認定のアルミ製ブラインドが設置され、この部分では、郵便局、同公衆室部分を除く一九個所でブラインドの陰に入ってガラス窓にビラが貼られたものであるところ、≪証拠省略≫によれば、この部分に貼られたビラは、ブラインドに覆われているためこれに隠れて本件建物の外観にはさしたる影響がないうえ、玄関部分、化粧タイル貼りコンクリート外壁部分に貼られたビラについても、階上部分の張り出しとコンクリート柱とに妨げられ、建物全体の外観としてはそれ程目立つ状態ではなく、また地下食堂のガラス扉部分に貼られたビラが、同建物の構造からしてその外観に殆ど影響のないことは明らかである。そして本件で貼られたビラの枚数は五、五〇一枚と数多いものではあるが、その貼付場所を地上八階地下一階の本件ビル全体から観察すればその一小部分に過ぎず、また前認定のとおり、本件ビラ貼りに用いられたビラ四種類は、それぞれ規格が統一された印刷物で、その内容も一見して労働組合の要求事項と判る文章であって、形状、内容自体において醜悪、不快なものということはできないこと、本件ではこれらが比較的整然と貼られ、ビラ貼り後の原状回復も、コンクリート花壇等建造物に当らぬ部分は別とし、本件ビルについては、比較的容易に行なわれていることをも考慮すれば、本件建物の本来的効用及び機能並びにその社会的価値からして、本件ビラ貼りが本件建造物の美観をその本来的効用が阻害されたものと同様に評価すべき程著しく減損したものとは認めることができない。そしてなお、本件ビラ貼りが行なわれたままの本件ビル全体の外観を(南西方向から)写したカラー写真が「建設新聞」一九七一年新春特別増刊号の表紙に掲載され、近代的新建築物として本件建物が紹介されている事実も、客観的にみて本件建物の美観が本件ビラ貼りの所為により何ら影響を受けなかったことを示す一つの証左と解される。

四  以上のとおり、本件ビラ貼りが、本件建物を物質的に毀損し、或いはその効用を侵害して、本件建物の本来的機能に沿う使用、利用を阻害された事実は勿論、その美観を著しく侵害減損した事実もこれを認めることができず、本件ビラ貼りの所為が建造物損壊罪を構成するとは未だ認められない。

第五

一  なお、弁護人は、本件公訴提起は、全電通労組弾圧の目的に出でた不当なものであり、検察官が公訴権を濫用したものであるから公訴棄却の判決がなされるべきである旨主張するが、起訴検察官に弁護人主張の如き組合弾圧の目的があった事実を認めるべき証拠はなく、かえって本件に類似するビラ貼りの所為につき建造物損壊罪の成立を肯定した昭和四一年六月一〇日のいわゆる東海電通局事件に関する最高裁判所の決定も存することに照らせば、本件起訴が著しく起訴便宜主義に反したものであるとは認められないから、弁護人の右主張は採用できない。

二  また本件ビラ貼りの所為は、刑法二六一条に定める器物損壊罪或いは軽犯罪法一条三三号の罪を構成すると解する余地がないわけではないが、被告人らに対し被害者から器物損壊罪について告訴がなされなかったことは記録上明らかであるし、建造物損壊罪と軽犯罪法違反の罪とは構成要件を異にし、被告人らの防禦方法にも自ずから差異が生ずるものと解されるところ、本件において後者を審判の対象とすべき手続は全くとられなかったので、これに対する判断はしない。

以上のとおり、本件については結局犯罪の証明がないので、刑事訴訟法三三六条に則り被告人らに対しいずれも無罪を言渡すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野口喜蔵 裁判官 小池洋吉 裁判官山崎潮は転任のため署名押印できない 裁判長裁判官 野口喜蔵)

〈以下省略〉

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